蒼穹のファフナー感想

December 12, 2011

ニコ動でファフナー放映してたんで全話見ました。当時は何あのSEEDとか思ってましたが見たらエヴァでした。エヴァといっても内容はよくよく消化されているし、キャラクターも素直で好感持ちやすいので名作でした。キャラデザの人はもう少しかき分けを…。

しかし、このアニメ何を思ってそんな名前にしたのか命名がすごいです。ワルキューレの岩戸とかザインとかニヒトとかばんばんでてきます。もう1話からの置いてけっぽりぶりがすごい。リツコさんポジションの人がいないから、まるで理解できない。用語は北欧っぽいのになぜか岩戸とかつけてるあたり日本だなぁとそんな感覚。

中盤あたりで(視聴者含め)舞台が整い後半バンバン散っていくわけですが、劇場版含めて甲洋は体よく使われすぎなのでは…(涙)。このアニメ甲洋さんに同情するためのものじゃないかと思わずにいられなかった。恋に敗れ、人間をやめて、なおも助ける甲洋さんは良い人(?)だなぁ。

テーマとなる言葉は「あなたはそこにいますか?」自己の確認、他人の確認。哲学的な問いですね。意志の境界線があるから人は自己を認識できるし、他人は他人として存在できるというそんな話。主人公である一騎は自己否定してるから同化しないんだ、なんだ作中言われますが、おそらく作品全体としては選択することが自己の確立だと捉えているんでしょう。だから最初から命令違反であっても人命を助ける。島外に出る。同化する。説得する。選択することを伝えるなどの行動を要所、要所で行なっています。誰よりも個が確立しているからファフナーにのっても一種の個体して認識されるんじゃないかとそんな感じで考えてます。結局あれってフェスティム側に同化されてるわけだしね。ここらへんはまともに資料集めて考察してる人のを読みたいところですね。アニメ自体はメタファーの塊のようなので…OP然り、キャラの命名然り。

あとでウィキペを読んで知ったけどカリンってちゃんと漢字あったんだね(’ー`)

続編も決定しているようなので次こそ千鶴先生が幸せになることを願っています。