2011年の終わり

December 30, 2011

2011年もあと1日で終わりです。私としては学生生活ももう少しといったところですか(’`)?

本当に大きな災害や事件があった年です。まさに激動の年というのにふさわしいでしょう。TVやニュース記事を見ると未だ震災による傷は広がるばかりのように思えます。行方不明者の数も未だ3000人を超えています。数字だけを見れば本当に人の命というのは軽く扱われるものだと感じますが、一人ひとりのお話を聞いていけばそれだけでその数の価値は変わるんでしょう。遺体だけでもと言いますが、果たして何人が遺族の元に帰るのかと考えると難しいものです。残念ながらもとい幸いながら親類に被害はないので私自身はのほほんと暮らしておりますが。

災害によって人生が変わった人、選択が狭まった人、なくなってしまった人がいると思います。そう思えば自分の人生は幸せなもんだと思いますが、相対的でないと価値が感じられないこと自体人間の不幸かもなと思われます。

TVで避難所で行われた卒業式が流されていましたが、代表で読み上げた男の子は情報技術に進むようで。いかに災害の情報を伝達するかの研究をするとアナウンサーが読みあげていました。わりと自分の研究に近い話なんですが、伝達速度を上げるよりも人のデジタルスキルをいかに上げるかのほうだよなぁと野暮なことを考えたりします。速度は上げることはできるしシステムの安定化をすることはできる。でも人が使えなければ意味がない以上に、価値を認めてくれずに実現できないわけです。もちろん人のスキルに合わせたUI作りというのはできます。できますが、きっとそれは使えないものです。一般的だったTVのリモコンすら祖母はもう使い方はわかりません。地デジ化やら録画の機能がついてチャンネルの番号が変わったからです。どうしてボタンが増えたのか、チャンネルが変わったのかをどう説明したら祖母に理解してもらえるか少なくとも私には思いつかないです。というか母すら録画機能をまともに使えません。しかし至ってシンプルな単機能なものを使ってもそれは意味をなさないのです。いつ来るかわからない災害通知を知らせるもの、しかも誤報するかもしれないし、来ても通知してくれないものを人が身につけるかという話です。仮にマルチな機能にしてUIをシンプルにすると階層化ができずにひたすら項目が並べられてこんなのいちいち見てられるかな状態になります。抽象化して複雑化するのは避けられないのです。ぶっちゃけ文字だらけのらくらくホンは超絶使いにくいと思うので早いとこらくらくスマートフォンを開発して欲しいです…。1画面にアイコンが4つぐらいで空のアイコン長押しで人の電話番号登録できるとかそんな感じ。

何が言いたいかっていうと彼はきっと人のデジタルスキルを上げる方法・教育やUIを研究したほうがいいよねってそんなこと。野暮ですね。今回の災害では若い人がデジタル機器を使い年配の方に伝達していたので結局それでいいんだとも思います。ただ、わからないからと外に出されてはいつか社会から断絶してしまうので、近づく努力は必要なんでしょう。私が歳を取ったら似たような状況になるでしょうし。

おまけの情報ですが、今は防災ラジオなるものがでています。緊急放送時にはかって電源も入ってくれるやつがあるのでそれを買っておくといいかもね。

閑話休題、修論まだ手付かず。一応、働けるところが今月ようやく決まったので無職は避けられるようです。ただ1,2、3月が予定でいっぱいになりました…。実際に働くとよほどの内容じゃないと研究のほうが楽しいよな(論文がなければ)と思っちゃったりしますが、まずは自分で金を稼がなきゃいけない状態なのでしょうがないです。

今年はわりとひきこもり気味だったなぁ。自分の技術が上がったかはちょっと微妙。やってみたいことは増えたからよかったかな?あとは学生期間にどれだけアウトプットが出せるかかな。

ちょっと作りたいWebサービスを思いついたので構成を妄想中です。何を使ってつくろうかで悩んであるあたり間違ってる。まぁ他に作るものがあるんですけど。研究のソフトとかアルバイトのソフトとか、コンテストとか…。

だらだら書いてみました。今年も締まりません。来年も生きてだらだら書けたらいいなというところで、皆様よいお年を。